静岡市議会 2021-10-01 令和3年 観光文化経済委員会 本文 2021-10-01
これは井上 馨侯の別邸、長者荘の跡地にまたがっておるわけですけれども、これは文化財課になるのかな、75ページに埋蔵文化財管理運営事業があります。
これは井上 馨侯の別邸、長者荘の跡地にまたがっておるわけですけれども、これは文化財課になるのかな、75ページに埋蔵文化財管理運営事業があります。
明治22年、東海道本線が開通し、興津駅が開設された後、皇太子、後の大正天皇が清見潟へ海水浴にたびたび訪れたことに端を発し、明治29年、井上 馨侯が別邸長者荘を構えると、その後、次々と別荘が築かれていきます。
その中で1点、ちょっと委員さんととり方が違うところが資料館の関係なんですけども、資料館の関係が、どうも埋蔵文化財センターの中に、井上馨侯の記念物を収納するように、私はちょっと受け取るんですけど、そこがちょっと杉山(欣)委員さんとの意見の違うところなんですけど。
井上 馨侯の記念館の銅像等の移転についてということで、皆さんのところにちょっと資料を出してありますけれども、井上 馨侯というのは意外と知られていない。しかし、幕末から明治にかけてまさに日本を動かし、そして英語の堪能な、皆さんのとこにはちょっと出してありませんけれども、ここに「井上 馨のロンドン生活」というのがありまして、今でも大学に「長州ファイブ」という名前で、ここに碑文があるそうです。
市民会議 ┃ (1) 全体計画 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ (2) 袖師公民館 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 2 井上 馨侯
小糠山というところに渋沢栄一と杉孫七郎の井上 馨侯をたたえた、厚さ10センチぐらい、幅が1メーター、高さが3メーターぐらいある碑文があったわけです。措置に困って自分の裏の方へ置いておいた。これを興津の自治会というより老人会の方々が、井上侯の大事な碑文があんなところに置いてあるのはけしからぬと。なぜなら井上 馨侯というのは、非常に奨学金を出したり、勉学に対して資金を提供しているんですね。
また、施設のコンセプトにつきましては、建設費が井上馨侯の別荘、長者荘の一角に位置することから、その歴史的背景を踏まえまして、歴史資料や埋蔵文化財の保管、展示機能を備えるとともに、あわせて体験学習ができる資料館的な役割を持った施設を考えております。
明治29年には、井上馨侯が清見寺と袖師にかけての広大な敷地に、長者荘という別荘をつくりました。これは今の波多打川のところで、川を中心に1万5000坪という広さで、庭とか、農園をつくり、東京から要人を呼んでは、茶会とか、園遊会を開いて、権勢をほしいままにしたわけであります。 井上馨侯は、大正4年に、ここで亡くなるわけでありますが、当時、彼は元老で侯爵であったわけです。
井上 馨侯というのは、皆さん十分御存じだと思いますけれども、簡単に略歴を言わせてもらいますと、毛利家の小姓頭だったんですね。そうして、大名について、殿さんについて、参勤交代のたびにこの東海道を通って、この横砂の地、気候温暖で海に恵まれて、ああいうところに住みたいなということを思っていたんだそうです。 そして、幕末に、あの人は伊藤博文等を連れて、イギリスに密航をしているんですね。